No.22   特別編:まちづくりは名コンビから
フレスコ画の駅 駅長さんと助役さん・・・インタビュー
※主に広瀬さんがお話されています。


 

廣瀬 正道(ひろせ まさみち)さん
青森県十和田市うまれ、東京に8年住み、
出会った奥さんの実家、葛生に婿入り。



土澤 栄(つちさわ さかえ)さん
葛生うまれ・葛生そだちの純・葛生原人。


右が広瀬さん、左が土澤さん。広瀬さんのお家にお邪魔して
インタビューさせていただきました。


廣瀬さん、
葛生に住み、
コトを起こす。

三沢の米軍基地の近くだったこともあって、ブルースが大好きで、高校の頃からバンド(担当はギターとブルースハープ)をやってた。高校まで十和田にいて、それから東京に出て・・・その頃は新宿とかディスコのはしりで、いろんなところで演奏してたんだ。当時は音楽で食って行こうとしてたくらい打ち込んでた。
もちろんしっかり勉強もしてたよ。グラフィックデザインやインテリア関係の仕事をしていたけど、クリスマスから春になるまで、会社を休んで、スキー場まわりの地方巡業もしたもんさ。その頃はハイヒールを持ってスキー場に来て、昼間はスキー場、夜はダンス・・・っていうのが流行っていたからね。

――バンド活動をやるなかで、知り合った奥さんは、実はデザイン学校の後輩だったそう。そして奥さんは老舗の染物店の5代目・・・という事実が。そして廣瀬さんは葛生に初めて訪れることになるのでした・・・。

葛生に行く前は、栃木県は東京人からみれば東北の一部みたいなもの。で、東北人からみる関東のどこなの?なにがあるの?という感じだった。日光はあるけど栃木県にあるんだっけ?くらいの印象だった。
初めて遊びに来たのは5月頃だったかな・・・最終電車で葛生に着いたらカエルがガァガァ鳴いてたから。自分の肌に合いそうだなってその時思った。 ところが、翌日明るくなってみると、たくさんのトラックが行き来して、なんとホコリっぽいまちかと思ったよ。何もない、とも思った。

――そして結婚、葛生に住み、染物店を継ぐことになった廣瀬さん。まもなく娘さんが生まれます。

長女が生まれて、子どもたちに、いいまちだというのを残して行きたいと思ったね。そのために消防団や商工会の青年部、若衆組(自警隊)に積極的に参加して、何かできないかって活動していたんだ。
葛生の中心地の3町(大和・相生・本町)には長く継承しているお祭りがある。八坂神社の祇園祭で、この3町が氏子になっていて、お囃子を奉納している。よその町内は山車を出すようなお祭りはやっていない。 もちろん引き継ぐ人たちがいるから続いてきたんだけど、古いものをイヤイヤやっている感もあったんだ。
人はどんどん地域を離れて行くし、若い人は減るしで・・・。 親父の気持ちとして、子どもたちに、活き活きしたまちで活き活きと育って欲しいと思った。
このまちを活性化するためになにをしたらいいか?・・・それで19年前にコトを起こし始めたんだ。

「原人まつり」の
できるまで

まずは、仲間たちで、いいところを視察して何かを見つけ、身につけようと思って仙台の和泉市に行ったんだ。
公設市場というのがあって、テナント形式でいろいろなお店をやっていた。すごく意欲のある人がいっぱいいたんだ。それを見て「自分たちがやらなくて誰がやる!?」と思ったんだ。

それで、葛生に帰ってきて、まず、地域内の連携を考えた。あらゆる団体、消防団・婦人会に声をかけ、みんなの発表の場として朝市を始めたんだ。季節ごとに年4回、夏は夕市にして、ものの売り買いだけじゃなくて歌や踊りや、いろんな催しをした。 初めての朝市には、まちの内外から3000人が来てくれた。
新聞やマスコミが取り上げたこともあって1時間ですべてのものが完売してしまったんだ。

これには最初からちゃんと作戦があって、市だけやっても人が来ないっていうのは分かっていたから、いろんなところに「原人のふるさとへ」っていう大きい看板を立てた。それを見たマスコミがなんだろう?って取材に来て、市のことを宣伝してくれた。 イベントのPRだけじゃなくて、このまちをアピールしたかったから、昭和24年に見つかっている「葛生原人」をもう一回活かそうと思ったんだ。 マスコミを通して、栃木県の商工会連合が、葛生はいろんな団体と手を組んで、変わったことやってるゾ、と注目し出したんだ。

――そんなこんなで、葛生の商工会は、通産省(現・経済産業省)のむらおこし事業(小規模事業地域活性化推進事業)を導入することになります。


県にも、新聞を騒がせている葛生を指定することで、なにか面白いものが出て来るだろうって期待があったんだろうね。 商工会の親会は、是非やってくれと言う。自分たち青年部はやりたくなかった。指導要領に従うことで、つまらないことをしたくなかったから。

――例えば観光用の平面の看板をいくらでつくるとか、決まっていたらしいです。それに反発し、県に抗議し(知事にも会いに行ったり・・・)、マスコミの後押しもあって、自分たちのやりたい方向に動けることになったということです。エライちからワザですね。

晴れて好きに動けるようになった。町会議長や町なかから委員を集め、特産品開発部会と観光開発部会をつくった。
けれど、この事業は単年度だったから、1年で500万(県150万、国150万、町100万、商工会100万)を消化しなきゃいけなかった。
特産品開発部会は商品を開発してサンプルを作ればよかったけど、私が委員長だった観光開発で形にするものって何だろうって。

まちを活性化するのは、結局、ひとだ!と。ひとの心を動かす手段が祭りだ!それじゃあ、来年お祭りを立ち上げるための計画・準備をしようということになった。 それが「原人まつり」なんだ。
当時は裸まつりみたいな野蛮なことを・・・なんて批判もあったけど、あらゆる団体に呼びかけて運営スタッフを募り、原人にちなんだ企画や若者の発表の場としてのイベントを準備していったんだ。

毎年若い人がいっぱいだよ。高齢化が進んでいるまちなのに、そこには新しい風が吹いているんだ。

冬には、町民が集まって、大いに地域のことを考える討論会・飲み会「団・談・暖」をやり続けているよ。これも10年以上続いてる。

――新聞もテレビも盛り上げてくれたけど、自分たちは面白おかしくやってただけとおっしゃってましたが、なにもないところからつくりあげるということは並み大抵なことじゃないです。それが今まで、そしてこれからも続いて行く代表的なイベントになるとは、地道な活動あってのものですよね。

そして、
TMO立ち上げ。
その拠点
「葛の里壱番館」
オープン!

平成7年に、商工会で将来の中心街を考えていくため「街並み修景準備委員会」をつくって、このまちを再度見直そうということになった。
この時初めて、商業と鉱業が一緒のテーブルについたんだ。もちろん、鉱業会からは金銭的な面での支援はしてもらっていたけど、企業人たちも、まちの一翼であり自分の住むまちだということを新たなメンバーで実際に一緒に取り組んで行こう、とね。
まちづくりに関わっていたほとんどの人間がよそものでわかものだった。本当は協力したかったけど、お金の寄付行為だけじゃなくて、汗を一緒に流すことも必要だ、と。

――平成10年の中心市街地活性化法の施行により、TMOの概念が生まれます。葛生町商工会では平成11年にTMO構想を策定、TMOの認定を受けたそうです。資金集めのためには株式会社にしようということで第3セクターの「まちづくり葛生株式会社」が設立されます。出資金は特定の人から大口で集めるのではなく、一般の町民から広く募り多くの人が関れる会社形態をつくったそうです。そして出資はなんと246名、総額1億3470円!
――TMOの取り組みと時を同じくして、町内の石灰業の社長、吉澤さんから町に美術品が寄贈されて、このための美術館を建設して敷地も寄贈されたそうです。そしてこの周辺に「葛の里壱番館」もできるわけです。


葛生会館(文化会館)が中心地にあって、もうボロボロで使われていなかった。これを壊して、再開発しようということになった。 なにをつくるか?ということになって観光拠点施設を具体的に、テナントを入れて、こだわりのある小さなお店から地域活性化を図って行こうということになった。
今までは、よそのまちからお客さんがやってくるなんてイベント以外なかったことだったけど、おいしいそばやカフェがあるし、美術館を訪れに来てくれる。
去年の4月27日にオープンしたんだけど、19年間の活動の集大成がこれだという達成感はあったね。まぁ、これは単なる節目で、これからだとはいつも思っているけどね。
ハコはできた、人が来るようになった、それをもっと充実させて波及効果を上げていきたい。具体的には、吉澤美術館と壱番館を取り巻く地域全体の回遊性をもたせたまちづくりをこれからしていきたいね。

――「ソフト=ひとづくり」をさんざんして来てできた「ハード=壱番館」。平成17年には合併もされる・・・だからこそ葛生のものを確立させていきたいとおっしゃる廣瀬さん。

2人の絶妙な
コンビネーション

――廣瀬さんは確かに葛生を元気にしたひとですが、廣瀬さんは、いろんな仲間がいたからだとおっしゃいます。廣瀬さんがまちの駅の駅長さんなら、助役は絶対土澤さんだと思います。このお二人の二人三脚なしには、葛生のまちの駅・・・まちづくりは語れないと思う管理人です。

廣瀬:TMOの立ち上げは土澤さんひとりでやったようなもの。普通の職員ならそこまではしないしできないと思う。とにかく能力がある。
私は栃木県の職員の中でナンバーワンだ!と思ってるよ、土澤さんのこと。
中心市街地活性化やTMO設立のために、たくさんの視察が来るけれど、「こういう職員が欲しい」っていつも言われる。まちづくりのリーダーと事務局という、デコとボコ、よそものと地元民、行動担当と事務担当、正反対なんだけど気持ちは一緒。いつも、今度はどうしようかねぇ?ってまちづくりやひとおこしの話ばっかりして飲んでる。そういうメンバーがうちのまちにはたくさんいるんだ。

まちの生涯学習の委員の佐々木英和先生が、葛生は「活躍人の都」だと言ってくれた。それは汗をかくことを存分に知り楽しんでいる大人たちがいるということなんだ。
8時、9時から飲み始めて、地域を肴に明け方までやってる。大いに人とつきあう、それが楽しいんだ。

土澤:歴史のあるまちは、思い切ったことがなかなかできない。だから、廣瀬さんみたいなよそものの方がやりやすいところもあると思う。
作家の半村 良(はんむらりょう)さんの「妖精伝」の中に葛生が出て来るんだ。それで、第一回の「原人まつり」の寄稿文を書いてもらった。
 葛生・・・・・・。
 それは私にとって、なんと輝かしい土地の名であろうか。
 それは、遠い過去の栄光の地、
  希望の象徴、世界の中心であったのだ。
 葛生・・・・・・。
 
それは人々の憧れの地であった。
  海近く山迫り、人多き文化の地。

で始まる。

葛生原人が葛生に住んでいたときは、東京なんて海の底だったんだ。地球の温暖化が問題になっているけど、海抜が上がれば東京人は葛生に来なくちゃいけなくなるんだよ。葛生は古東京湾の渚なんだ。

管理人から一言
 廣瀬さん、土澤さん、本当にどうもありがとうございました!
 廣瀬さん曰く「ずけずけいいあえる」立場上の一線を越えられる仲。20年来一緒にまちづくりを考え、実践し育って来た仲。 廣瀬さんは土澤さんのことを「さかいちゃん」と呼び、土澤さんは廣瀬さんのことを「ぶっちゃん」と呼びます。
まさにまちづくりの名コンビだぁ!と思いました。

 


 

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