No.62  金井 好彌 さん
白井宿の駅 (道の駅こもち)−白井宿観交(光)案内人の会−




金井 好彌 (かない よしや)さん


子持村の白井うまれ白井そだち
渋川の会社に勤務。

趣味は登山、郷土史研究。
(子持村ハイキングクラブの会長さんでもある)

ソフトテニスで町村対抗大会に出場したことも。
(勉強以外は好きだそうです)

好きな言葉は「一期一会」
(一回きりの人生、 その中で一度でも会った人には
心からおもてなしの気持ちで接します。とのこと)

「白井宿観交(光)案内人の会」会長

白井宿の歴史
 利根川と吾妻川の合流点にある河岸段丘上に発達した集落で、郡庁の所在地、伊勢神宮の御厨地(※1)だったといわれています。「和名抄(※2)」に「白衣」郷とあるのが「白井」の最も古い出現です。
 中世になり。吹屋(※3)に白井城が構築され、城下町、寺院も配置されました。それから約300年にわたって、上杉氏の配下として長尾氏が主に覇権を振い、政治・経済・交通・文化の拠点として成長しました。「白井文化圏」の核とまでいわれたそうです。
 一国一城令(1615年)が出されてからも白井城は守られていたのですが、1623年に廃城となり、1624年には代官(岡上甚右衛門)支配となりました。
 今の白井の町並みができたのは江戸時代(1634年よりもすこし前)。草津道や三国街道にも接する白井宿は市場町として栄え、「六斎市(※4)」を開き、元禄時代頃から輸送の要所となっていきました。この頃、白井は「渋川でない品物は白井へ行けばある」と言われていたそうです。
 幕末と明治の3度の大火によって、古い家並みは少なくなってしまいましたが、市が開かれた広い通りや道の真ん中を流れる堰(白井堰)、つるべ井戸や石造物などが今も残っています。 また、屋号のある家(※5)が多く残っており、私の家もそのひとつです。

※1 御厨地…伊勢神宮に奉納するお米を作っていた荘園
※2 和名抄…937年(承平7年)編集、平安中期の漢和辞書
※3 吹屋…子持村の地区名称。現在の村役場周辺にあたる
※4 六斎市…毎月6回開かれた定期市。白井は5と10のつく日。
   昨年、これにあやかり道の駅こもちに同名のイベントスペース開設。
※5 豊嶋屋、和泉屋(=現在の歴史資料館)、叶屋(=金井さんのお家)など
名家の跡継ぎとして
 私の家は「叶屋」という旅客運送業を営んでいました。材木、真綿、麻、麦、大豆などを江戸に、京都には生糸を売り出し、酒造業も・・・何でもやっていましたね(笑)。1800年から1807年の間には、(もちろん祖先の金井さんが)郡中取締役(※6)を勤めています。
 1813年には問屋となり、その後、白井村の名主となりました。
 曹洞宗の「雙林寺」の総代表(※7)も勤めてきました。
 それから時代はくだって、農地開放(※8)によって大部分の土地を手放すことになりました。もとは地主といっても・・・私はサラリーマンです(笑)。
 渋川の鉄鋼関係の会社で働きました。何度も転勤の話はあったんですが、長男の私は家を守るために、それを断り続けました。そのかわり、群馬県内のことを重点的に任されました。公職についた・・・ということで言えば、40歳から52歳の間、村の教育委員を勤めたのが初めでしたね。 現在は白井の自治会長をしていますが、これは今から4年前に就任しました。

※6 郡中取締役…代官所と村々の間に立って15カ村を支配する役
※7 総代表…そうだいちょう:檀家の代表

※8 農地開放…農地を地主から安い価格で強制的に買いあげ、
   小作人に安く売り渡す制度
金井さん
白井の歴史を
本格的に学ぶ。

観交(光)案内人の会
設立へ。
 歴史はある家でしたから、白井の歴史については以前から興味がありましたが、腰を据えて勉強したのは最近になってからのことです。
 現在は「群馬歴史散歩の会(会長は県知事)」の支部長をやっていますが、インスタントで勉強しただけですから(笑)。勉強中ですよ、今も。
 白井の自治会のテーマでもあった歴史の掘り起こし、観光資源としての見直しについて、村長が全面的にバックアップするということになったんです。「観交」・・・「観光」だけでなく「交流」を持つことを目指し、「観交(光)案内人の会」の設立に向けて動き出したのは、ちょうど道の駅こもちの開設準備の時期でした。
 文化財に詳しい職員をつけて欲しいとお願いしましたし、小出先生(※9)のもとで3ヶ月ほど、県史、村史などの文献を勉強しました。3ヶ月目には先生が入院されたのですが、私は通院して先生に教えていただいていました。
 その中で「観交(光)案内人マニュアル」を作成し、 昨年(2003年)、1月から6月の間に6回の講義を行いました。1回の講義あたり約40名の参加がありました。伊香保の方にも白井に来ていただいて、ポイントを指摘していただいたこともありました。
 この6回の講義が終わり修了証を出しました。修了者の中から、案内人をやりたい人に手を挙げてもらい、6月24日から14名で活動を開始しました。村としては、村内全域の観交案内をして欲しいということでしたが、白井城を含めた白井宿だけを重点的に案内することにしました。それから月に2回程度は以来があります。ほんの数人の時もあれば、観光バスで大勢でいらしてくれることもあります。・・・この会では、人数あたりいくらという案内料のいただき方をしていません。いらっしゃる方が何人でも、こちらの案内人が何人でも、一回につき2000円と決めているんです。
 

※9 小出先生…(調べきれませんでした・・・)
観交(光)案内人の会
これからの目標。

 私自身、白井の歴史を勉強中ですし、もっと他のことも掘り下げて勉強していきたいところです。元来、日本各地の名所・旧跡には興味がありますし、美味しい地酒の発掘は昔からしていますから、いろんな地域に足を運んでみたいですね。
  案内人の会全体としても、渋川の郷土史の先生や、他の地域で歴史研究・案内をしているようなグループと交流して、いいところを学んでいければと思っています。

管理人から一言
 金井さん、本当にありがとうございました。
 人と会うのが苦手で、ムリしてやっているから努力するのかも・・・なんておっしゃっていた金井さんですが、インスタントだなんてとても言えない位の立派な歴史研究家&案内人さんです。金井さんの口からは、歴史に関する面白い話がどんどん出て来ます。
 人権養護委員も長年勤めておいでです。とにかく人格者!
 ・・・でも、一緒にお酒を飲んでみて、ひとつ気づいたことがあります。金井さんは漫才でいうところの「ボケ」と「ツッコミ」の「ツッコミ」がうまいなぁって。絶妙なタイミングで鋭くて面白い「ツッコミ」が入ります。その「ツッコミ」が、管理人にとって大笑いのツボです。いや〜、また飲んでください。
 と、不躾なことも申しましたが、今後ともご指導ください。よろしくお願いいたします。

 


 

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